なぜ京町家は2階建てが多いのか?『うなぎの寝床』から読み解く京都の暮らし

京都の町を歩いていると、昔ながらの京町家を目にすることがありますが、よく見ると多くの町家には共通点があります。

それは、ほとんどが2階建てであることです。

なぜ京町家は2階建てなのでしょうか。単に住むための空間を増やすだけなら、3階建て以上の建物があっても不思議ではありません。

実はその背景には、豊臣秀吉による京都の都市改造や、商業都市として発展した京都ならではの土地利用の工夫がありました。

今回は、京町家が2階建てとして定着した理由を、京都の歴史とともにたどってみたいと思います。

豊臣秀吉による都市改革

天下統一を果たした豊臣秀吉は、京都の都市改革の一環として聚楽第周辺に城下町を整備しました。

このときの記録として「城下町は2階のある家で、正面を杉か檜などの木材で造る」ように命令されたとあります。

秀吉は城下町全体の景観を整えようと考えていたとされ、こうした政策は後の京町家の原型にもなりました。

ですが、なぜ2階という指定で整備したのでしょうか?

火災の消火活動をしやすくするため

江戸時代の京都は木造建築が密集する都市であり、火事は常に大きな脅威でした。建物が高くなるほど消火活動は難しくなるため、町家は二階建て程度に抑えられる傾向がありました。

また、建築技術や景観上の慣習もあり、結果として京都では二階建ての町家が標準的な住居として定着していったのです。

限られた土地を有効活用するため

京都の町家は「うなぎの寝床」と呼ばれる、間口が狭く奥行きが長い敷地に建てられました。

秀吉の町家

特に江戸時代には商売を営む町人が増え、

  • 1階:店舗・作業場
  • 2階:居住空間

という使い方が一般的になります。

人口増加とともに、平屋では手狭になったため2階建てが合理的でした。

つまり京町家の2階建ては、狭い土地を有効活用しながら商売と暮らしを両立させるために生まれた、京都ならではの知恵だったのです。

参考
図説 京の町歴史 丸山俊明 著 住環境文化研究所

上部へスクロール